三秀を知る

代表ご挨拶


まず初めに創業から90年、設立から70年とこれまで長きにわたり株式会社 三秀を支えて頂いた関係者様やお客様に心より感謝致します。そしてこれからも末永くお力添え頂けること心よりお願い致します。
弊社は自動車部品製造のノウハウや大河内記念技術賞に裏付けされた優れた技術力を活かし、近年では事業の多角化を図り建設用機器、産業用機器、弱電部品、商業用部品に加え、コンクリート二次製品鋼製型枠といった様々な業界の製品を手掛けております。これまでもそしてこれからもお客様のご意見ご要望を基にご提案を通じて、よりお客様が満足する物づくりが出来る様、日々邁進し続けて参りたいと思います。
スローガンは「即行動」
スローガンにも掲げております『即行動』、すべての物事は考えているだけでは前に進みません。失敗を恐れず考えを行動に移すことがとても大切だと考えています。その行動をより早く起こせるように会社全体で意識し、より早い初動の一歩を心掛けていきたいと思います。
代表取締役社長 塩原 輝久
三秀社員に聞いてみた!!
現場の声
三秀の歴史
創業昭和6年

三秀社員に聞いてみた!!

VOICE
01
未来の三秀を担う次世代のために
金属プレス・加工 部品事業部 | 管理課 | 關
仕事の内容
より良い組織作りに貢献できるよう、新卒採用・人財教育に関する業務を行っております。仕事内容としては、新卒採用における学生対応がメインになります。それに加えて契約企業の選定から説明会資料の作成・研修対応なども行っております。
モノづくり・製品への想い
実際に製作する業務ではありませんが、お客様の要望に対してどこまで寄り添えるのかが大事だと思っています。
担当している仕事に対して
モノづくりや三秀に少しでも興味を持ってもらえるよう、学生様目線を意識して業務を行っております。三秀の社員として1番最初にお会いする立場になりますので、最初の接点でいかに魅力付けできるかというところに重きを置いています。
今まで最も苦労した加工又は仕事
採用業務は常に相手が変化します。すなわち個人に合わせて、臨機応変に対応を変えていかなければなりません。今日はうまく進んだとしても、次回も同じ内容で上手くいくとは限りません。これは新卒採用・人財教育において難しいところでもありますが、おもしろいところだとも思います。
VOICE
02
効率よく、簡単に作業をするには
金属プレス・加工 部品事業部 | 製造課 | リーダー 寺坂
仕事の内容
主に担当しているのは、溶接工程における生産計画の立案および、生産・出荷に関する段取りです。生産計画は前工程の進捗状況や出荷スケジュールを確認した上で、板金部門と連携を取りながら策定しています。また、段取りにおいて作業効率の最大化を図るため、ロボットの稼働時間を少しでも長く確保できるよう、フォークリフトを活用して加工品や出荷用容器の準備・配置を適切に行っています。 そのほか、ロボットの不具合対応や製品の外観不良の確認、作業者への技術指導、製品品質の改善などに携わっています。
モノづくり・製品への想い
溶接時には主にロボットを使用して製品を製造しています。しかし、現場では常に改善の余地があり、課題への対応が求められます。例えば、ビードの修正、手作業で行っている溶接のロボット化です。ビードの修正は比較的短時間で対応可能ですが、ロボット化には半日から一日を要することもあります。これらの問題を解決することで、製品の品質向上や作業の簡略化が実現できます。 こういった創意工夫で、生産上の問題を解決・改善できた時の達成感と嬉しさがモノづくりへの原動力になっています。
担当している仕事に対して
常に「いかに効率よく、確実に製品をつくるか」を念頭に置いて業務に取り組んでいます。特に、私が担当している段取りや生産計画の業務においては、この考え方が極めて重要です。段取りが不十分であれば、作業者の負担が増え、製造現場全体の効率が低下します。そのため、事前の計画立案から現場での準備に至るまで、滞りのない体制づくりに努めています。
今まで最も苦労した加工又は仕事
最も苦労したのは、従来手作業で行っていた溶接作業のロボット化に伴う治具およびロボットプログラムの作成です。治具の作成については、製品を固定するためのポイントが限られており安定した固定が困難で、何度も調整が必要でした。加えて、ロボットのアームの可動範囲が狭いため、動作順序や治具のセット方法との最適な組み合わせを見つけるのにも時間を要しました。そのため、試作段階では不良品が多数発生しましたが、トライ&エラーを積み重ね、最終的にはロボット化を実現することができました。
VOICE
03
考えてこそ技術が向上するものだと思います。
コンクリート型枠事業部 | 製造課 | 班長 荒川
仕事の内容
私が所属している事業部はコンクリート二次製品鋼製型枠を製作しています。私の担当は図面を見ながらレーザー切断された鉄板や鋼材を溶接して組み上げる仕事です。
モノづくり・製品への想い
私にとって幾日かで作り上げる型枠は一つですが、お客様にとってはその型枠一つで長期にわたって何十、何百といったコンクリート製品を生み出していきます。その全てのコンクリート製品が均一且つきれいなものになるように想定しながら製作しています。
また、型枠は常に受注生産であり、毎日同じものを作ることはまずありません。できるだけ作業の標準化は図っていますが、その時々で治具を製作する等、経験がものをいう仕事だと思っています。ですから後輩に対しても自ら考えながら作業に取り組んでもらえるように指導しています。考えてこそ技術が向上するものだと思います。
担当している仕事に対して
平滑できれいなコンクリート製品を得るには、型枠も平滑・平坦でなければなりません。
私たちの間では、その平滑であることを「通り(とおり)」と呼んでいます。その「通り」を出すために日々、苦心しています。
私たちが扱っている材料は鉄で有り、溶接するときの熱で歪みが出ます。熱の伝わり方は、目に見えない為、見極めが難しいです。しかし、その苦労の先に質の高い型枠が完成したときに喜びを感じます。
今まで最も苦労した加工又は仕事
最近は一つの型枠をパーツの組み換えで何種類もの形状がとれるような兼用型が増えています。全ての種類で正確な寸法を確保するのが難しくもありますがやり甲斐もあります。
VOICE
04
妥協しないを心掛けて。
コンクリート型枠事業部 | 製造課 | 班長 松田
仕事の内容
私は製造課に所属しており、コンクリート二次製品用の鋼製型枠を製作するための切り曲げ工程を担当しています。主にレーザー加工機を使って鉄板から部品を切り出し、バンドソーで鋼材を指定された種類や寸法、数量に切断します。その後、プレスブレーキで部品を所定の形状に曲げたり、旋盤加工機で鋼材を指定された形状に加工したりしています。また、協力メーカーへの材料や部品の支給準備、手配など幅広い工程に携わっています。
モノづくり・製品への想い
働き始めてコンクリート二次製品に携わるようになってからは、歩道を歩いたり道路を走ったりしていると、「あの製品はこういうところに使われているんだ」と自然と目に留まり、興味を持つようになりました。これらの製品は多くの人の目に触れるものなので妥協せず、正確で美しい型枠製作に日々努力し続けていきたいと思っています。
担当している仕事に対して
私は切り曲げ工程の中でも、特にプレスブレーキによる曲げ加工と旋盤加工を主に担当しています。これらの工程は製品の仕上がりに大きく関わるため、寸法や角度などを正確に仕上げることが求められる、とても重要な工程です。私自身、物事にこだわりを持って取り組む性格なので、妥協せずに追求できるこの仕事は自分に合っていると感じています。時折、組み立て作業者から「組み立てやすかった」「きれいに加工されているね」と声をかけてもらえることもあり、大きなやりがいとなっています。
今まで最も苦労した加工又は仕事
2021年にプレスブレーキを他社メーカーの新しい機械に入れ替えたときが、これまでで最も苦労した仕事でした。操作画面や金型のセット方法、寸法や角度の設定、曲げの順番など、これまでのやり方とは大きく変わり、慣れるまでとても苦労しました。特に「寸法」の考え方が大きく違っており、以前の機械では板厚や角度に応じた計算方法で対応できていたのに対して、新しい機械では板厚と角度によって曲げる部品の寸法を都度変える必要がありました。搬入後の2〜3ヶ月は、それぞれの寸法を正確に求めるのに苦戦し、試行錯誤を重ねたことを今でもよく覚えています。
三秀社員に聞いてみた!!
現場の声
三秀の歴史
創業昭和6年

三秀の歴史

創業から90年。
三秀のこれまでのあゆみをご紹介。
1931
昭和6年 東京都港区に日本工業社として創業。
東京都港区白金にて鉄道車両及び電気器具部品の金属プレス加工を行う。

三秀の原点はここからはじまる。

塩原慶賀(日本工業社創業者)・・・写真 上列左から3番目
塩原輝実(三秀創業者)・・・写真 上列左から2番目
1950
本田技研工業 株式会社と取引を開始。
プレス技術を高く評価されスーパーカブのフェンダー部品を受注し、その後、加工部品を増やしていく。
1952
三秀プレス工業(株)として法人設立。
1958
埼玉県和光市に本格的な量産工場”埼玉製作所”を新設する。
1962
三重県鈴鹿市に"三重製作所"を新設する。
本田技研工業が鈴鹿市に工場を新設したことをきっかけに三重製作所を新設した。
まさにHONDAとともに歩む企業であった。
1967
試作専門の会社として三秀精機製造 株式会社を創業する。
1987
大河内記念技術賞受賞
鋼板を薄くする技術は世の中にたくさんあり研究が進んでいたが、鋼板を厚く(増厚)する技術はあまりなく、研究を重ね製品化に成功。賞を頂くまでの技術となった。
停滞期、転換期
ホンダの資材政策が変化、独立の意思を示した三秀はホンダからの仕事が激減、社としての停滞期を迎え厳しい状況がつづくことになる。
何とか転換を図らなければならない時、様々な分野への営業活動を精力的に行い、建設機械(ショベルカー)、輸送用機器(フォークリフト)、産業用機器、空調設備機器、などの分野へ方向を転換することに成功。
その他にも郵便局の看板、遠赤外線を使ったホームサウナ、ドライフラワー、自動麻雀卓、などの開発を行ったが事業としては成り立たなかった。
1994
コンクリート型枠の製造開始する。
現在までの主力事業の一つとなる。


現社名「株式会社三秀」に社名変更。
三秀プレス工業 株式会社 → 株式会社 三秀へ変更。
プレスから始まった会社であり仕事のほとんどがプレスだったが、時代がプレスだけやることを許さず、また三秀自身もプレス以外の物へとシフトが始まっていた。
そんなプレスからの脱却の意味や総合的なものづくりの意味をこめての社名変更だった。
2000
本田技研工業 株式会社との取引を終了する。
100%ホンダの仕事だった会社が、0%となった年、この年で完全にホンダ、自動車、バイク、からのシフトチェンジが終わった。
2001
ISO9001:1994取得
2005
埼玉製作所の閉鎖。
埼玉製作所にあった設備などを三重製作所に移設し工場集約を行った。
2014
板金設備増設。
3Dレーザー、2Dレーザー、135tブレーキプレス2機、各種ソフトウェアを導入。
2017
1500t油圧プレス導入。
2021
株式会社三秀の前身である日本興業社 創業90周年を迎える。
2022
株式会社 三秀 設立70周年を迎える。
三秀の歴史
創業昭和6年
三秀社員に聞いてみた!!
現場の声
三秀精機製造 株式会社
試作・少量生産に即対応!